2002-07-24 第154回国会 衆議院 国土交通委員会 第25号
それに対して、当時の運輸大臣の松浦周太郎先生が、河野さんのおっしゃること、私自身も身にしみて感じておりますと。松浦大臣も東横線の祐天寺辺に住んでおられて、いつもそういうことを感じているんだ、こういう問題から、それが順調に流れて、なおかつうまくいくように、各省庁とよく連絡をとって頑張りたい、こういうような答弁をやっておられるところでございます。私自身は最近の問題かなと思って心配しておりました。
それに対して、当時の運輸大臣の松浦周太郎先生が、河野さんのおっしゃること、私自身も身にしみて感じておりますと。松浦大臣も東横線の祐天寺辺に住んでおられて、いつもそういうことを感じているんだ、こういう問題から、それが順調に流れて、なおかつうまくいくように、各省庁とよく連絡をとって頑張りたい、こういうような答弁をやっておられるところでございます。私自身は最近の問題かなと思って心配しておりました。
その商店のおやじがたまさか、北海道の留萌の私の父親のいとこのところで来てくれということで、商売をしながらも、道会議員であった高橋さんという、松浦周太郎先生の弟子とともども炭鉱をやって、そしてどちらかというと失敗したようでございます。私が幼いころでございましたが、よくわかっております。そのときにも父親からも、先ほどの言葉ではございませんが、何回も何回も石炭話を聞かされました。
ところが何を思ったのか、北海道に松浦周太郎先生という代議士がおられました、その方のもとで高橋文蔵という道会議員がおられまして、これが私の父のいとこになりまして、それで父もその人から誘われたのでございましょう、私の幼いころでございましたが、炭鉱に手をつけまして、そして余りうまくいかなかったようでございます。
あのとき、松浦周太郎先生のお話も十分頭にございますし、そういうことをいろいろ考えながら先人たちのいろいろのとうとい遺産をなくしてもいけないし、また我々の子孫に対してもやはりこの地球環境を守っていかなきゃならない。さすれば、我々が今いいアイデアを、何を実際に実践して形づけるかというような点からこのケナフということを思い出しました。
一人は故松浦周太郎さんでありますし、いまお一人は現存される伊藤五郎さんでございます。 これはもう大変な先見性を持った営みである。昭和十三年というようなときにそんなことをやった人がいたんだと思うと、私は何か勇気づけられる気がするわけでございます。
(拍手) 昭和四十三年二月、君は、かねてから私淑していた松浦周太郎議員にその手腕と力量を見込まれ、同議員のたっての懇請により、企画室長を最後に旭川市を退かれ、議員秘書となられたのであります。秘書となられてからの君は、松浦議員の右腕として寝食を忘れて奔走され、持ち前の粘り強さで愛と誠の松浦政治を八年余にわたり実践されたのであります。
昭和三十九年の九月二日に、国鉄の監査委員会から運輸大臣、当時は松浦周太郎先生だったのですが、意見書が出ておるわけであります。
最後に、議長から、永年在職議員として表彰された元議員の松浦周太郎さん、西村直己さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 以上でございます。
○山下委員長 次に、永年在職議員として表彰された元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、永年在職議員として表彰された松浦周太郎君が去る六月八日に、また西村直己君が去る七月二十八日に逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、葬儀当日、議長からそれぞれ贈呈していただきましたので、御了承願います。
永年在職議員として表彰された元議員松浦周太郎君は、去る六月八日逝去せられました。 永年在職議員として表彰された元議員西村直己君は、去る七月二十八日逝去せられました。 まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 松浦周太郎君に対する弔詞は、去る八月三十日、西村直己君に対する弔詞は、去る八月十三日、議長においてそれぞれ贈呈いたしました。これを朗読いたします。
昔の議事録をいろいろ調べてみましたけれども、一番最初にこの国際空港の問題が出てきたのが昭和四十年で、このときは運輸大臣が松浦周太郎さんでした。そして富里空港が問題になっております。一番この富里空港に早く目をつけて国会でもって追及したのが現在の副議長の加瀬完さんです。
補欠選任 村山 喜一君 平林 剛君 荒木 宏君 村上 弘君 同日 辞任 補欠選任 平林 剛君 村山 喜一君 村上 弘君 荒木 宏君 同月二十二日 辞任 補欠選任 越智 伊平君 大久保武雄君 唐沢俊二郎君 原 健三郎君 瓦 力君 千葉 三郎君 毛利 松平君 松浦周太郎君
第一四〇三号) 同外二件(小澤太郎君紹介)(第一四〇四号) 同外十五件(越智伊平君紹介)(第一四〇五 号) 同外十六件(大石千八君紹介)(第一四〇六 号) 同外三件(木島喜兵衞君紹介)(第一四〇七 号) 同外七件(岸信介君紹介)(第一四〇八号) 同外九件(栗原祐幸君紹介)(第一四〇九号) 同(田口一男君紹介)(第一四一〇号) 同(長谷川峻君紹介)(第一四一一号) 同外一件(松浦周太郎君紹介
同月二十一日 辞任 補欠選任 寺前 巖君 中島 武敏君 同日 辞任 補欠選任 中島 武敏君 寺前 巖君 同月二十六日 辞任 補欠選任 越智 伊平君 旗野 進一君 加藤 紘一君 赤城 宗徳君 瓦 力君 小坂徳三郎君 田中 覚君 箕輪 登君 高橋 千寿君 松浦周太郎君
官) 西村 尚治君 出席政府委員 総理府恩給局長 菅野 弘夫君 委員外の出席者 総理府恩給局恩 給問題審議室長 手塚 康夫君 内閣委員会調査 室長 長倉 司郎君 ――――――――――――― 委員の異動 十月二十七日 辞任 補欠選任 林 大幹君 松浦周太郎君
昭和五十一年十一月二日(火曜日) 午前十時三十六分開議 出席委員 委員長 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君 理事 小平 久雄君 理事 稲葉 誠一君 理事 吉田 法晴君 理事 諫山 博君 木野 晴夫君 小坂徳三郎君 塩崎 潤君 千葉 三郎君 福永 健司君 松浦周太郎君 松永 光君 森 美秀君
寺田 治郎君 最高裁判所事務 総局人事局長 勝見 嘉美君 法務委員会調査 室長 家弓 吉己君 ————————————— 委員の異動 十月二十九日 辞任 補欠選任 小坂徳三郎君 森 美秀君 田中伊三次君 綿貫 民輔君 千葉 三郎君 塩崎 潤君 松浦周太郎君
最高裁判所事務 総局人事局長 勝見 嘉美君 最高裁判所事務 総局刑事局長 岡垣 勲君 法務委員会調査 室長 家弓 吉己君 ————————————— 委員の異動 十月二十七日 辞任 補欠選任 田中伊三次君 松永 光君 千葉 三郎君 古屋 亨君 松浦周太郎君
同外七件(倉成正君紹介)(第六九九号) 同外三件(田中覚君紹介)(第七〇〇号) 同外四件(田村元君紹介)(第七〇一号) 同(戸井田三郎君紹介)(第七〇二号) 同(徳安實藏君紹介)(第七〇三号) 同(中山利生君紹介)(第七〇四号) 同(長谷川峻君紹介)(第七〇五号) 同(平林剛君紹介)(第七〇六号) 同(保利茂君紹介)(第七〇七号) 同(細谷治嘉君紹介)(第七〇八号) 同外三件(松浦周太郎君紹介
寺田 治郎君 最高裁判所事務 総局人事局長 勝見 嘉美君 最高裁判所事務 総局刑事局長 岡垣 勲君 法務委員会調査 室長 家弓 吉己君 ————————————— 委員の異動 十月二十六日 辞任 補欠選任 小坂徳三郎君 葉梨 信行君 松浦周太郎君
委員の異動 十月十九日 辞任 補欠選任 沖本 泰幸君 竹入 義勝君 同月二十日 辞任 補欠選任 山田 太郎君 沖本 泰幸君 同日 辞任 補欠選任 沖本 泰幸君 山田 太郎君 同月二十二日 辞任 補欠選任 大久保武雄君 奧田 敬和君 千葉 三郎君 葉梨 信行君 松浦周太郎君
委員長 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君 理事 小平 久雄君 理事 田中伊三次君 理事 田中 覚君 理事 保岡 興治君 理事 稲葉 誠一君 理事 吉田 法晴君 理事 諫山 博君 小坂徳三郎君 千葉 三郎君 中垣 國男君 二階堂 進君 濱野 清吾君 福永 健司君 松浦周太郎君 松永 光君